「コロナ離婚」
巷でそんな言葉が増えているそうです。下記のようにニュースとしても多数取り上げられています。今回はこの「コロナ離婚」の話から、夫婦関係について考えてみたいと思います。
コロナ禍の50代夫婦のリアル!以前の関係性にはもう戻れない…
(Yahooニュースより)
■配偶者は「邪魔者」扱い?
ニュースやコラム、その他たくさんの意見を見聞きしましたが、特に共通しているのが、「配偶者が邪魔者」として見られていることです。その方々に何があったかは分かりませんので、それを批判することはできません。
ただ一つ私が思ったのは、「相手が何をしたか」を追及し、批難していますが、「相手が何を考えているか、どのように思っているか」についてフォーカスしている意見が少ないと感じました。
これは大変もったいない話だと思います。人と人が心から分かりあうためには、そこに向き合うことは必要不可欠です。
■元々日本人は向き合う民族だった
コロナをきっかけに、家族、親子、夫婦で向き合う時間が強制的に発生しました。突如訪れた変化に戸惑い、今までとは違うライフスタイルを強いられ、ストレスと感じてしまうのは仕方のないことです。
しかしこれを機会ととらえ、改めて「相手と向き合うこと」をやっていただきたいと思います。それは単に、これまでにあった相手の嫌なことを羅列するような話ではありません。
なぜ結婚したのか、どうして人生のパートナーとして一緒に生きていこうと思ったのか。そして今、目の前のパートナーがどんな顔をしているか、あなたが今相手を思いやって出来ることは何か。そういったことを考えていただきたいのです。
以前の記事にも書きましたが、日本人は聖徳太子の頃から、徹底的に相手と向き合うことをやってきました。
賛成とか反対とか、良いとか悪いとかではなく、お互いに知らないことを学習し、新しい価値観を共有するという概念(アウフヘーベン)を持っていました。
これは男女の問題にも同じことが言えると思います。男女で価値観が違うのは当たり前です。そこでどれだけ相手と向き合い、認め合うことができるかということが肝要なのです。
男女が存在することには意味があるのです。生物学的にさかのぼって見ても、例えばアメーバには男女なんてありませんでした。それが進化の過程で男女という性別が生まれていった。そこに偶然はありません。
歴史の書物も同じです。古事記や聖書なども最初に男と女が生まれ、人間が始まるストーリーになっています。はるか昔から残る書物の共通点。偶然こんなことになるでしょうか?
意味があるから男女に分かれたのです。だからこそ、一番身近である男女、配偶者と向き合うことは、とても重要なことではないかと思います。
しかし現代では、それを男女平等の名の下、法律で無理に「こうあるべきだ」としています。確かに制度が必要なことはあるかもしれません。しかし重要なのは決まりごとではなく、思いやりをもって相手と向き合えるかどうかではないでしょうか。
■夫婦関係は全てに繋がる
かくいう私も、妻とは色々ありました。
「借金を抱えた病院を再建する!」と決めたとき、猛反対をされました。以前、別の選挙に出馬しようとした時も、思い切り止められました。
妻も私も、いつも意見が一致しているわけではありません。しかしその度に向き合い、話し合い、互いを思いやって乗り越えてきました。
向き合うのは大変です。時間もかかります。それでもきちんと向き合うのは、夫婦がうまくいっていないと、何事もうまくいかないと思っているからです。
例えば親子関係。夫婦関係が良くない…そんな様子を子供は見ています。だから夫婦がうまくいかないのであれば、親子も中々うまくいきません。
仕事においても、夫婦の延長、家庭の延長で仕事もやっているわけですから、当然うまくいかなくなります。
これは、「道教」の世界観に通じます。
例えば作物を育てる場合。
作物がたくさんできるためには
感情が良くて、それを担う臓器が良くて、個人が良くて、家庭が良くて、組織が良いと、作物がたくさん採れる。(今の例えに置き換えるなら、作物は仕事やお金と言えます)
これを全てやっているのが「道教」です。
そして道教の一部がいわゆる「東洋医学」です。「東洋医学」の基本的な考え方である陰陽五行の大元は、道教が説く「道(タオ)」にあります。
この東洋医学と陰陽五行の話は、また別の機会に詳しくお話します。医者である私が、なぜこんなことを言っているのか、少しでも共感していただけたら嬉しく思います。
■夫婦の形は人それぞれ
このように、家庭の根幹である夫婦がうまくいっているかどうかは全てに繋がります。
もちろん、離婚の全てを否定するわけではありません。どのような夫婦関係が心地良いかは人それぞれです。
他の家庭と比較することなく、まずは目の前の相手とまずは向き合ってみるのはいかがでしょうか。
最初は大変だと思いますが、その思いやりの先に「調和」があるものです。
我々参政党も「大調和」を掲げています。多種多様な意見を認め合い、その中で新しい道を模索する。そのために私も、たとえ時間がかかっても、一つ一つ向き合っていきます。