2月22日から24日にかけて北海道各地で大雪に見舞われ、車が立ち往生して車内で十数時間も取り残される事態もありました。
立ち往生から14時間「辛かった」大雪爪痕北海道各地で深く 札幌では工場屋根が崩落
国土交通省によると、毎年500台以上も雪で立ち往生するのだとか。
雪国では決して珍しくないこのような事態をみると、ひとつの疑問が頭をよぎります。
今、エコカーとして注目され、国に後押しされているEV(電気自動車)は、こんな時、大丈夫なのでしょうか?
■EV が大雪で立ち往生したら命に危険が!?
というのも、EV はガソリン車に比べて航続距離が短い、つまり搭載できるエネルギー量が少ないのです。
暖房だってもちろんエネルギーを使います。
雪に閉じ込められて暖房が使えなければ、命にかかわります。
EV のバッテリーは新品をフル充電して200~600kmの航続距離、それに比べてガソリン車は600〜1500kmです。
単純に考えて、EV の方が暖房がつかえなくなるのが数倍早い。
もっと言えば、バッテリー性能は寒冷地で低下するだとか、給電するのに時間がかかるだとか、ガソリンのようには電気は運べないから充電設備までレッカーしないといけないだとかいう不安要素も多々あります。
■EVは『SDGs』を実現するのか?
そもそも EV はそれほど推進すべき価値があるのでしょうか?
EV は二酸化炭素を排出しないし、石油でなく再生可能エネルギーでも動かせる。
それが Sustainable、”持続可能” なのだといいます。
『SDGs』(Sustainable Development Goals)といって、”持続可能な社会” を2030年に達成するのだといいます。
そこに EV が期待されているというわけです。
さて、ここで質問です。
あなたはスマートフォンを何年くらいで買い替えますか?
2〜3年もすると、スマートフォンが壊れていなくてもバッテリーがダメになってしまいます。1日充電しても昼頃には電源が切れてしまう。
そうなると、バッテリーだけ換えれば治るのに、本体ごと買い替えた方が安かったりする。
じつは EV も同じなのです。
EV が初めて発売された10年くらい前のものを、今、買うと60kmくらいしか走れません。
”原チャリ”にも劣る状態なので、20万円とかで叩き売りされています。
バッテリーを交換すれば動くのに、そのままで売っているわけです。
つまり、リサイクルなど実質できない証拠です。
そして、それだけ買い替え期間も短いということです。
最近の車は、電子部品とかプラスチックの部品ばかりで、技術的にもリサイクルが難しくなりました。
特に EV は、バッテリーにリチウムだとかパラジウムだとかニッケルだとかが入っていて危険なので、ものすごく丁寧に分解しないといけない。
だからリサイクルそのものも難しい。
処分するのにお金も電気も大量に必要になります。
EV を1台つくって廃車にするまでに、ガソリン車10台分の二酸化炭素を出すとも言われます。
それだけ石油もつかうという事なのです。
このように、『SDGs』と言えば言うほど石油をつかうことになるのです。
■『SDGs』の闇
ヨーロッパは全てを EV にしようとしていますが、絶対に不可能です。
雪による立ち往生だって、日本よりはるかに多いはず。
それなのになぜ推進しているかというと、裏があるからです。
じつは最初、『SDGs』のために、ディーゼルエンジンを推進していました。
たしかに石油の消費も二酸化炭素の排出も減るのですが、NOxという窒素酸化物とススがどうしても出るので、環境汚染や光化学スモッグの原因になってしまう。
尿素水で中和するとかフィルターをつかうとか色々試行錯誤した結果、フォルクスワーゲンが「ディーゼルエンジンでこんなにキレイになりますよ」というデータを出しました。
ところが、そのデータがなんと偽造だったのです。2015年の頃です。
フォルクスワーゲンだけでなく、アウディなど多くの欧州自動車メーカーも偽造していました。
実際はどんなに頑張っても、ディーゼルエンジンはガソリンエンジンよりもキレイにならない。
この偽造を隠すために「EV にする!」と大々的にしているに過ぎないのです。
■『SDGs』に豊かさを奪われるな!
日本では今、EV推進の間違った流れで、主力である自動車産業が窮地に立たされています。
2021年1月の施政方針演説で、当時の菅義偉 総理は「2035年までに新車販売で電動車100%を実現する」と表明してしまいました。
日本はガソリン車で圧倒的な優位を築いてきたのに、このままではそれを手放すことになってしまいます。
これはトヨタなどの大企業だけの問題ではありません。
自動車関連産業には中小零細企業が多数を占めているのです。
日本人の豊かさをこれ以上、奪われないようにしなければなりません。
『SDGs』などというキレイな言葉に騙されないようにしなくてはなりません。
冷静に、そして根拠ある議論を国会でしていかなければならないのです。